試行錯誤は、アイデンティティを確立する。
AIがもっと賢くなって、訂正すら要らなくなる日が来たとき。
人生の道に迷い続けなくて済むように。
私は、自分が書いた文章や、大事にしている価値観、
今やっていることを、一つの個人サイトにまとめている。
迷ったときに戻り、
自分が何を大事にしていたのかを確認するための場所だ。
私は、そのサイトのデザインを、AIと一緒に大きく作り直した。
といっても、私の手はほとんど動いていない。
AIは、デザイン案も、コードも、
実際の画面を開いて、スマホでも読みやすいか確かめるところまで、全部やってくれた。
なのに、楽しかった。
やっていて、ワクワクした。
私は、「作ることが好き・楽しい」と思い続けて、
他人にもそう言い続けてきた。
だが、最近の私は、直接手を動かしていない。
私の中の「楽しいと思えること」の「核」は、
私が今認識しているものとは違うのではないだろうか?
作り直す前のサイトは、
お世辞にも、良いデザインではなかった。
所謂、「AIが作りました」なデザインだ。
せっかく、有用な情報がまとまっているのに、あまり見る気が起きない。
最初に伝えたのは、
「今のデザインでは、見るモチベーションが上がらない」
という、かなり曖昧な不満。
AIが、4つのデザイン案を作ってきてくれた。
かなり良くなっている。
それらのデザインを並べて、
「これが近い」と思うものを選ぶ。
違うところがあれば、またAIに伝えればいい。
私の仕事は、私の価値観に沿った「判断」を行うだけだった。
案が返ってくるたび、
「これは良い」「これは違う」と判断をする。
違うと伝えれば、また形が変わって返ってくる。
さっきまで曖昧だったものが、少しずつ形になってくる。
私は、そういった試行錯誤が好きなのだろう。
手を動かすことが嫌いになったわけではない。
ただ、それ自体が、楽しさの中心ではなかったのかもしれない。
何かを伝えると、実際の形になって返ってくる。
そして、自分でも気づいていなかった好き嫌いが出てくる。
私は、それ自体が楽しかった。
AIではなく、人に全部やってもらっても同じなのだろうか。
たぶん違う。少なくとも、私の場合は。
人と一緒に作ることが嫌なのではない。
人と作るときには、また別の面白さがある。
けど、今回大きかったのは、私の価値観が大量のデータとして共有された状態で、
何を直すかを、そのたびに自分で決められたことだ。
だから、AIから返ってきたものの中には、
自分の考えの続きが含まれていたように感じる。
では、私のことをよく知ったAIが、
私に何も聞かず、私に必要なものの全部を完成させてくれたらどうなる?
完成した直後は、とても喜び、ワクワクするだろう。
でも、その状況が続いたとき、
私は、「何かが足りていない」と思う気がする。
必要なものは完成しているはずなのに。
自分が何を好きで、何を違うと思ったのか。
その判断の記憶は、私にとって必要なものだ。
今回私は、主体的に不満を持ち、
私の価値観というフィルターを通してから、
その内容を伝えていた。
何を選び、何を選ばず、何を違うと伝え、何を残すのか。
実際に手を動かす工程をAIへ渡しても、
根本の判断をし続けていたのは、私だった。
試行錯誤はアイデンティティを確立する。
自分が判断をし続けることでこそ、
やっていることの自分らしさを証明できる。
という意味だ。
AIがもっと賢くなって、
私の訂正すら要らなくなる日が来たとき、
私は、どこに自分の判断を残したいと思うのだろう。
たぶん、そのときもまた、試行錯誤する。
それなら、未来も楽しそうだ。

